死ぬ直前まで働け、身を粉にして働け

仕事と愚痴

ちょうど10年前くらいかな?

その時に使っていたノートに書いてあった言葉。

会議で役員が言い放っていた言葉なのだけどね。

私はノートの使い方があんまりうまい方ではなく、会議とかでノートを取ったとしても結構白紙部分が目立つような使い方をする。

宅建の勉強をしていて、暗記のためにノートに書きこむことが多くなったので、手頃な紙がないかと思い探していたら、昔使っていたノートが出てきた。

そのノートを開いてみたら、そんな言葉が書いてあって、そういえば、そんな言葉が飛び交っていた時代があったな、なんて思い返していた。

今、こんな言葉を使ったら、批判されることは間違いないと思う。

でも、それが許されていた時が、あった。というか、ずっと許されてきた。

全体でみれば、許されなくなったのは本当に最近のことで、それまではずっと、それは普通だった。

私の知っている世界が狭いので、共通であるかはわからないが、すくなくとも私は、そう思っている。

最近では有休消化の取得は当たり前であり、有休消化を否定する企業などありえないといった空気まで漂っているような状態だ。

私も、ある時まで有休消化を使ったことがなかった。というか、新卒の頃なんてまず、有休消化の申請方法を教えてもらえなかったし、理解する必要もないと思っていた。そんな暇はないと思っていたし、そんなものを取得する余裕があるようにも見えなかった。

自分が休んだら職場に迷惑がかかる。新卒にそんな仕事をふる時点で何かがおかしいのだが、そんな感じだった。今みているから、おかしいと思うのだろう。その時はおかしい、とは思っていなかったし、そういうものと思っていた。

自身がそんな考え方にしみついてしまったものだから、口に出さずとも、有休消化を取ってるような社員に対し、いい感情を抱くことは出来なかった。ただの嫉妬?なのだが、それは私だけではなく、なんで皆が頑張っているのにあの人は自分勝手に有休消化?なんて口にする人もたくさんいた。

だが、有休消化は義務化され、すこしずつではあるが環境が変わっていた。

私の有休に対する考え方が変わったきっかけは、とある女性の中間管理職だった。

当時、世の中は女性の管理職登用を進める流れとなっており、1人の優秀な女性を中間管理職として昇進させることとなった。中間管理職の労働環境は、はっきり言っていいとは言えない。有給消化なんて、取っている人を見たこともなかった。

だが、その女性は取った。毎月1回必ず。

最初は大丈夫か?と思った。だが、あまりに毎月取るものだから、驚きから、興味へと変わっていく。会社がどういう対応をするのだろう、と。

結果は、何ともなかった。周りの人間は誰も有給取得しているようには見えなかった。取得せず、会社に来て働いているような人間ばかりだった。だが、彼女だけが休んでいた。

正直、結果をだしていたか、と言えば微妙な部分があるが、あれは私の考え方を大きく変えた。

多分、男性が同様に有休消化を取っていたら、反感を買い、左遷されたと思う。育休なんて言葉を聞いただけでアレルギーを起こすような人がいるような会社だった。だが、女性であったから、そうならなかったのではないかと勝手に思っている。そして、会社を大きく変えた。

この変化が良いものだったか、悪いものだったかはわからない。

だが、私には女性の社会進出は死ぬ直前まで働けという男性社会特有の体育会系思想を打ち砕いたように見えた。そして、仕事一筋で生きるという生き方が、いかに愚かであるかという考え方を教えてくれた。

だが、今に至り、逆に大丈夫かと思うことも当然でてきた。

結局、平和であることを前提に考えてしまっているということだ。

会社がつぶれないという前提で考えるのであれば、有休をとろうが、育休を取ろうが、なんでもいい。個人の幸福を追求すればいい。だが、会社、国が傾いたとき、どうなってしまうのだろう。やはり権利を主張するのだろうか。

大げさに言えば、内閣総理大臣は有給や育休をとっていいのかという話だ。

北朝鮮からミサイルが飛んできた時、ただいま有休、育休中です。が通用するのかという話だ。

極論すぎるのはわかっている。

休むことも大事だし、ある程度の休息が仕事をする上で効率的だというのはきっと間違いではない。でもそれは平時の話だ。

非常時において、やっぱり強いのは死ぬまで働く覚悟のある人だ。

もし近い将来仕事が激減し、企業が今よりももっと自由に従業員を解雇できるようになったらどうなってしまうのだろうか。有休消化等を理由に従業員に不当な評価をあたえるのは違法だが、それをどうやって証明するのだろうか。非常時の不安は尽きない。

私は、タイトルの言葉について考える上で何より重要なことは、言葉の良し悪しではなく、それを決めるのはその時の環境であり、この言葉を良しとしてしまうような未来が常に隣にある、ということなんじゃないかな、と思ってしまう。

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