新年2日目にして、酒が少し恋しくなる。

その他、色々

2日目。

今日は自然と七時半に目が覚める。普段の7時起きではなかったが、家族が寝静まって、目が覚めるような外的な要因がない中、起床することができたことは大きい。

昨日は9時まで記憶がなかったわけで。さすがに1日寝坊したくらいでは半年かけて作った習慣が揺らぐことはないらしい。油断は禁物だが…。

株式市場が始まるのは1月6日だ。午前中は勉強をするとしても、日中にやることがあまりない。妻も子供も自由な時間を満喫している。

私も満喫したいのだが、やはり株式が動かないと時間は余る。企業リサーチでもすべきなのだろうが、午後はゆっくりしたいせいか、あまりやる気にならない。ゲームでもしようかとも思ったが、一時間のストッパーをかけているのでその時間もほぼやりきってしまった。

年末なんだから解除して好きなだけやれば良いじゃないかと、脳がなんか言ってくるが、無視をする。

酒は飲んでいない。昨日の夜に少し飲みたくなったが、冷静にその気持ちを自己分析していたら、『飲みたい』ではなく、『酔いたい』であることに気付く。

自己破壊衝動でもあるのだろうか?どうにも、夜はそんなことを思っていることが多いらしい。酒を飲んで酔っぱらっていると生きている感じがする。そういえば過去にそんなことを思っていた時期があったかもしれない。

当時は、仕事して仕事終わりに飲んでいたら大人になった気分になれたので、お酒を飲めて一人前みたいに思っていたのかもしれない。

それが甚だしい間違いであったことに議論の余地もない。結果、その後に若気の至りでは済まされないような失敗を何度も繰り返すことになるので、もしあの頃に戻れるのであれば、そんなことを思っている自分を殴ってあげたい。

とはいえ、失ったものはもう二度と戻らないので、そんな自分であっても、残ったものを大切にして生きていく他ない。

もう20年たったのか、と思い返す。なぜ、新年開けて早々そんなことを思っているのかわからないが、私の中で、40歳間近というのはそれくらい衝撃的らしい。

なぜなら、酒をまだ知らない、20歳のときと、中身がほとんど変わっていないからだ。

知識も多少増えたかもしれない。資格も持った。だが、もし戻れたとしたら、いま持つ知識なんて、数年で習得できるような内容だろう。それくらい薄い時間を過ごしてきた。

私はどちらかと言えば友人関係以上に、仕事を優先してきた。仕事を優先すればするほど、友人とは疎遠になっていく。その後、仕事に見放され、三十歳代でそのほとんどを失った。

人間関係主体であっても、同じだったかもしれない。酒で粗相して、人間関係崩壊…、行き着く先が見えてしまうのは、年の賜物か。

結果として、あの頃のままでは、いずれにせよ、どのような世界線をたどったとしても、私は酒に溺れていただろうし、取り返せない失敗を繰り返し、信用は失っていた。

ならどうすれば良いのか、とことん失敗しないと理解できない私の性質上、もはやそれは必然だったのだろう。

そう考えれば、酒を今やめることができたのは、ある種の巧妙だったのかもしれない。すくなくとも、去年の今ごろは酒を浴びるほど飲んでいた。一年後には酒を飲んでいないと言われても、信じられなかっただろう。

1日に飲める量は決まっているのだから、飲まないと言う選択肢はない、なんて言って。

酒を辞めれば失敗はしない…というわけではない。変わらず失敗する。酒を飲んでいたら気にならないようなことも気になり出すというデメリットもある。だが、酒を辞めれば、少なくとも挽回不可能な失敗を犯すリスクは減る。

今日は酒のことばかり考える。少し酒が飲みたいなと思う自分に気付くのだが、その度に、なぜ酒が飲みたいと思ってしまうのかがわからない。なぜ、積み上げたものを自分で崩したくなるのかがよくわからない。なぜ、とことん酔っぱらって醜態をさらしたくなるのかがわからない。

まだまだ、先は長い。

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