最近広告が資格関係のことばかりでるようになった。資格についてはちょこちょこ調べる機会があったけども、広告の優先度を変えるほど見ていたかというと疑問なのだけど。
でも、変わったということは事実なので、きっと無意識のうちに検索していたのかもしれない。でも、本当にネットにあふれる広告は自分の検索履歴や、閲覧履歴などによって変わっていくのだなと考えさせられる。
なにかを知りたいと思えば、簡単に情報が集まる。これが良いと思えば、良いことを肯定するような情報ばかりが集まり、悪いことだと思えば否定するような情報ばかりが集まる。意識して検索しないと、偏った情報を思い込んでしまう。
もともと人が持っている、自分に都合のいい情報ばかりを鵜呑みにしてしまう認知バイアスという傾向をさらに強めてしまう。
広告なんて、基本的に顧客の都合のいいことしか書かれていないのだから、そんな広告にうもれてしまっていたらそうなるのも無理はない。
なら、インターネットから離れればいいのだけど、そんなことは出来ない。便利なものは世の中を変えてしまう。いまさらそれがない世の中になんて戻れない。いまの仕事でインターネットの無い状況を考えられない。
日本の駅での光景は、外国人からみるとおかしいらしい。みんな、揃いに揃ってスマホを見ているからだ。私もそうしている。言われてみればおかしいのかもしれない。でも辞められない。なんだか、なにもしていない時間をもったいなく感じてしまうのだ。
スマホがあれば、映画も漫画もニュースもできる。アプリは多彩で、本を持たずとも読書が出来て、勉強もできる。
昔お酒を飲んでいた頃は、休みの日は必ずといっていいほど堕落して疲れきっていた。肝臓はフル回転、前日遅くまで酒を飲んでいたのだから仕方ない。そして夕方起きて後悔する、そんな日々だ。
そんな人が時間がもったいないとか言っているのもおかしな話だが、過去の記憶は、どんどん風化していく。
例えば、なぜ酒を辞めなかったのか。今となってはそれを不思議にすら感じる自分がいることを否定できない。酒を辞めようと何度も苦心した記憶は、もはや酒を辞めることに成功したという自信になぜか書き消され、それが当たり前と感じるようにすらなっている。
成功しても、失敗しても、記憶は薄れていくもののようだ。苦労した記憶ですら薄れていく。そうして今が普通になり、比較基準の土台となる。
いまの基準で考えてしまうから、酒をやめられて当たり前と思っている自分が少なからず生まれる。
それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、だからこそ、その時その時で、反省という作業をしておく必要があるのかもしれない。そういう意味ではブログはとても役に立っている。過去の自分をみることができるから。
ええと、なにがいいたかったんだっけ?考えていることをとりあえず書く、とはいっても、先にタイトル考えた方がいいのかもね…苦笑
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